こうのとりのゆりかご
数年前、そのシステムができた時には、否定的な意見が少なくとも私の周りには多かった。
そもそも無責任だと。
だったら最初から産まなければいいのに、と。
熊本県にある慈恵病院にそのシステムはある。
こうのとりのゆりかごは、様々な事情を抱えて赤ちゃんを育てられなくなったひとたちがそこに赤ちゃんを置いてゆく。
赤ちゃんは病院の手で保護され、やがて施設に行ったり養子縁組されたりする。
やむを得ず無理心中したり、赤ちゃんを置き去りにしたり、場合によってはその命を奪ってしまう、そういうことを一件でも減らす目的で創設された。
院長先生は言っていた。
「国の決定を待つことはできない。なにをもたもたしているんだ」
少し前までは、そんな事情があるひとのことを想像もできなかった。
困るとわかっていて自分で選んだ選択のすえに、最終的に人任せにする。
そんな人たちを助ける必要があるのかと思っていた。
様々なひとに会い、様々な生き方を知り、様々な感情を自分でも乗り越えてきた年齢になると、最近は理解できてくるものがある。
確かに始めは無責任な感情だった人もいるだろう。
傷ついたすえの追い討ちだった人もいるかもしれない。
でもどちらにしろ、みんながみんなきっと結構苦しんだんだろう。
後悔もして、生涯一生それを背負うのもわかっているひとが、多いんだろう。
簡単にそれを無責任だと言い放つ女性を見ると、他人は他人で想像もできない人生とその苦しみがあることを、この人は気づいていないんだなと思うようになった。
きっと、そのひとは平均点以上の人生を歩んで来れたに違いない。
けれどそれによってしか救われない人がいるのも事実だ。
それならそれで、規制やなんかでがんじがらめにするより、人の性善説を信じてそんな仕組みがあったっていいじゃないか。
空気が冷たくなる冬になると、特に、赤ちゃんたちが暖かな場所で年を越せて、よかったなと思う。
日本でも、養子というシステムが特別視されずに開かれる日が早くくればいいとも思う。