教育
常々思っていたことがある。
学校の勉強って本当になんのためにやるんだろうと。
いや、勉強ができないのをそのせいにするわけではないんだけど…
自分の可能性を大きくしておくためだ、と聞いたときはなるほど、と思った。
いろいろなことを知ることで、なにが自分にひっかかって、なにが開花するかわからない。
その可能性をたくさん持っておくこと。
そして、何年か後にしたいことが見つかったとき、勉強ができないからという理由だけでその道が断たれないように、できることにこしたことはないと。
なるほど、そのための勉強か。
だけどつまらなかった。
十代の頃行った海外で、英語の授業が役にたたないことに愕然とした。
今は授業自体も変わっているんだから違うのかもしれないけど。
bookが本だと知っていることになんの意味もないのだ。
その言葉を聞き話す、そしてそうしたいと思う気持ちと理由がなければ。
それでもうひとつ、勉強ってつまらないと認識してしまった。
テストのために知識を詰め込んだところで何になるんだろう。
…という考えをもとに、テスト勉強もしませんでした!
(今となっては反省)
みんなはもっと、ちゃんと勉強する理由を見つけていたのだろう。
感謝しているのは中学校の先生だ。
3年生の時の担任で、進路相談をしたときに「おまえはおまえの、好きなことだけをしたほうがいい」というので、その後の進路が決定した。
当時はあまりなかった選択肢だ。
それで個性を磨けたかどうかはわからない。
だけど自分の子供には、選択肢というものがもっとあればいいのになと思うのだ。
何歳、何年生、というのではなく。
知識を競うのではなく、考察力を磨いて、違う意見を言う人のことも認められるちからを持つために、与えられる学びの場所も自分でもっとフランクに自分で選べたらいいのにな。
安く。
教育とテレビ
昔からテレビは教育に悪影響があると言われている。
しかし、教育を目的とした番組も作られている。
子供のテレビに視聴には、大人が注意をはらう必要があるという。
私の子供の頃に比べて、今のテレビ番組は内容にかなり気を使っていると思う。
今に比べて昔の方が倫理的に問題のある表現がテレビでも使われていた。
それはギャグの一つだったり、話題作りのための行き過ぎだ企画や演出だったりした。
アニメの内容にしても、今に比べて問題になりかねない表現も多々あったと思う。
そうした番組にPTAや子供を持つ視聴者からの苦情があり、段々と番組の作り方が変わってきたらしい。
しかし、「反面教師」と言う言葉があるようにそうした番組を子供が見たとしても大人がその内容についてしっかりと話をして良し悪しを理解させれば問題はないのではないか?
実際の問題は、各家庭での子供へのテレビの見せ方にあると思う。
例えば幼児の頃から食事中のテレビをつけていると、子供はなかなか食事に集中できない。
こうした家庭の子供は幼稚園や保育園でも食事に時間がかかる事が多いそうだ。
常にテレビがついている家庭の子供は「テレビをみながら」の「ながら」生活に慣れてしまう。
テレビ見ながら食事、テレビを見ながら宿題…集中して1つの事に取り組む事が無い生活になってしまう。
そして子供だけでもテレビを見ることで、番組内容の良し悪しの判断がつかないままになってしまう。
子供にどういう形でテレビを見せるのか、生活の中にテレビをどう取り入れるのかを決めるのは大人だ。
テレビが教育に悪影響を及ぼすのではなく、際限なく娯楽であるテレビの視聴を許す大人が悪影響を及ぼしているのではないだろうか。