音楽のマダガスカル

新しい音楽の始まりを考えるとき、初期の鍵盤楽器や19世紀の中頃までに確固たる地位を築いたピアノ製造の急速な反映が、典型的なアメリカ音楽を作り、形成してきたのではないかと考える。
我が家にあるスタンウェイ社のピアノはアメリカのクラシック界、ポピュラー界のどちらでもその確固たる地位を獲得し、ヨーロッパからの独立を意味している。

アメリカ移民達は当時のイギリス人と動揺に熱狂的な音楽愛好家だったようだが、彼らには楽器もヒマな時間もほとんどなかった。
ようするにお固い国(日本も似ている)という訳だ。
音楽が社会生活の中で重要な役割を果たしていた祖国(アイリッシュ音楽)からやってきて、新しい地でそれを捨て去ろうとしたのかというとそうでもなかったようだ。

ジャズに特化して言うと、主に奴隷であった黒人たちが盛り上げたデキシーランドジャズなどはヨーロッパでは決して生まれなかった音楽だと私は思う。
3度が半音下がった黒人の耳と、どういう訳かリズム感がいい黒人の感性。
この二つと、奴隷解放宣言がなされたアメリカの自由の国という思想がイギリス移民の音楽をイギリス国家以上に現在発展させていると思う。
ビートルズなどの音楽もやはり、リバプールでライブ活動を行っていたときと、アメリカに拠点を移してからのものだと全くの別物で、私としてはリバプール時=商用、アメリカ時=アーティスティックという分類になる。
海を一つ隔てての環境が帰って音楽の個性というか特異性を促したのかとテレビのマダガスカル特集を見ながら考えていた。

初めてのピアノ発表会

6歳になったばかりの長女はピアノを習い初めて8ヶ月が経ちました。
毎年ピアノの発表会があるそうで、先生の生徒さんの中でも希望者だけが参加します。

といいますのも、下は4歳から上は80歳までの幅広い年齢層の方が先生の生徒さんなのです。

娘の演奏曲は、1曲目は外国の民謡曲を一人で弾きます。
2曲目はクリスマスソングで、先生との連弾です。

最初のうちは楽しく練習していたのですが、中だるみと言いましょうか、曲を覚えてしまうと新鮮味が薄れて、レッスンしなくなりました。
それでも先生は上手に手綱を引っ張ってくださって、発表会前にはいつものペースでレッスンできるようになりました。

当日は白のドレスに身を包み、緊張した顔が初々しかったです。
もちろん動画撮影したので、編集して最近契約したレンタルサーバーにアップロードしたいと思います。
一般公開はしないように、しっかりとロックしますけどね。

さて発表会後のことです。
自宅にピアノが欲しいと言ってきました。
これは想定の範囲内のことですが、目を付けたのがグランドピアノなのです。

残念ながら自宅にはグランドピアノを置くスペースは無く、アップライトピアノもちょっと圧迫感を感じるという始末。
悩みに悩んで入門用として紹介された型式に決定。
結局、ピアノだとどれでも良かったと後から告白する娘は、早速、オリジナルの曲を弾いていました。

海外で活躍するピアニストになれるかどうか、そんな心配をするよりも、支払いに頭が痛い今日この頃です。

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